2009.11.19
ビアトリクスを囲む人たち
父方祖父母:エドマンド・ポター&ジェッシー・クロンプトン・ポター
ビアトリクス・ポターは、父方の祖父母をたいへん敬愛していました。 ビアトリクスがそのビジネスの才や芸術への理解を最も強く受け継いだと思われるのが祖父エドマンド・ポターからです。
1802年、ダービーシャーの商家に生まれたエドマンドは、1825年にいとこのチャールズとキャラコ(平織り白木綿)の捺染(版木によるプリント)業の会社を起こします。後にエドマンドは、エドマンド・ポター商会として独立し成功。「ポターの染め」とまで言われる人気のプリント生地を生み、当時、その分野では世界最大企業にまで成長しました。
従業員の待遇改善やその子供たちとまだ若い従業員への教育にも熱心に行っていたエドマンドは、マンチェスター美術学校の校長を務め、やがて政治の世界へも進出。ロンドンに居を移してからは、信仰していたユニティリアン協会の会長を務め、また、階級に関わらず子供たちが教育を受けられるよう運動を続けました。
釣り好きでもあり、たびたび家族でスコットランドを訪れました。ビアトリクスの父ルパートは、その習慣を引き継いで、避暑先にスコットランドを選んでいたのでした。
労働者待遇などの考え方に影響を与えたと思われるのが、1829年に結婚した妻ジェッシー・クロンプトンでした。美人としても知られ、ビアトリクスは祖母のジェッシーを、後々まで懐かしく語るほど大好きでした。
ジェッシーの出自であるクロンプトン家は、ビアトリクス言うところの独立心旺盛で、迫害にも屈しない気概があり、その精神がビアトリクス自らの中にも受け継がれていると語っています。ビアトリクスがナショナル・トラストに助言と資金援助をして購入した土地に、湖水地方のコニストン近くのモンク・コニストンがあります。かつてジェッシーの父がコニストン周辺の土地を所有していて、ジェッシーもよく訪れていたことを聞かされていたのです。買い戻すことができたことをとても喜びました。
また、ジェッシーがプレゼントした植物画集「英国の野の花」はビアトリクスの絵にも多大な影響を与え、後々、絵本で花を描く際、参考にしたりもしました。
ビアトリクスが生まれた1866年に、夫妻はロンドンの北にあったカムフィールド・プレイスの家を購入し、エドマンドが議員を辞職すると、サウス・ケンジントンの家も残したまま、ここに移り住みました。ビアトリクスは「世界中で一番好きな場所」だと日記に記し、自宅であるボルトン・ガーデンズの家よりも何倍も居心地の良い家と書いています。
1883年、体調を崩していたエドマンドが82歳で亡くなりました。翌年、友人でもありビアトリクスが祖父のように慕っていた、ウィリアム・ギャスケルも亡くなったのでした。それから8年経った1891年、大好きだったジェッシーが亡くなりました。90歳でした。

コニストン周辺は、大好きだった祖母ジェッシー・クロンプトンの父親が土地を所有していた場所。後にビアトリクスが所有した一帯にあるターン・ハウズは1周約2.4kmの美しい小さな湖だ。
伝農浩子
(フリーランス・ライター&エディター。著書:『ピーターラビットと歩くイギリス湖水地方』(JTBパブリッシング)、『ミス・ポターの夢をあきらめない人生』(徳間書店))
現在、nikkei BPnet で『ニッポンを伝える人たち』を連載中。





