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2010.01.07
ビアトリクスを囲む人たち
叔父:サー・ヘンリー・ロスコウ
ビアトリクス・ポターの活躍を要所要所でバックアップしたのが叔父のサー・ヘンリー・ロスコウでした。ロスコウ氏は、父、ルパートの妹、ルーシーの夫。自らも優れた化学者であり、姪の才能を高く買っていました。
1884年にナイトの爵位を授かり、1885年には国会議員に当選。ロンドン大学の副総長も経験しました。また、妻で、ビアトリクスの叔母となるルーシーは、写真が趣味で、アマチュアながら、「ロンドン写真協会」で、金賞や銀賞を何度か受賞しています。
ただし、ロスコウ氏は、ビアトリクスも含めポター家から、あまり好ましく思われていなかった頃もあったようです。
ビアトリクスは、1990年にポストカード用として書いたウサギの絵で初めて収入を得ます。その際、素敵なクリスマスカードを作って親戚に送っていた彼女にその絵を売ることを薦めたのは、かねてから彼女の絵のファンだったロスコウ氏だったのです。そして、ビアトリクスは出版社に買ってもらうために弟と共に奔走したのでした。
キュー王立植物園で研究ができたら、という夢を叶えてくれたのも、ロスコウ氏でした。1896年5月、ビアトリクスは彼に連れられてキュー王立植物園を訪れ、入園許可証を得ることができたのです。
また、ビアトリクスはキノコの胞子についての研究成果を発表しますが、それを薦めてくれたのもロスコウ氏でした。彼はビアトリクスの絵を学術的にも正確だと高く評価していたのです。
しかし、当時はアマチュア研究家、特に女性が論文を発表することなど難しい時代。当初、植物園に提出しようとしたところ、研究の成果を信じない園長は、なかなかその文書を受け取ってくれず、冷たくあしらわれます。そのことに腹を立てたロスコウ氏が本腰を入れて協力。正式な論文を書き上げて、権威ある植物学の研究機関、リンネ研究所に提出できるようにと、ビアトリクスが書いた論文を何度も推敲してくれる力の入れようでした。
ビアトリクスの論文は、1897年4月1日にリンネ協会に提出されました。当時、女性は会に出席することすら許されていませんでしたので、代わりに植物園のスタッフの一人が読み上げたのではないかとされています。しかし、出版を検討されることさえなかった、添えられたはずのキノコの絵も見てもらえなかった、そんな可能性の高い、厳しい時代だったようです。
ロスコウ氏は、間もなく83歳という1915年12月に亡くなりました。

ロスコウ氏も認めていた緻密で正確、そして美しいキノコの絵。
伝農浩子
(フリーランス・ライター&エディター。著書:『ピーターラビットと歩くイギリス湖水地方』(JTBパブリッシング)、『ミス・ポターの夢をあきらめない人生』(徳間書店))
現在、nikkei BPnet で『ニッポンを伝える人たち』を連載中。



