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コラム

2010.03.18
ビアトリクスを囲む人たち
菌類研究の師:チャールズ・マッキントッシュ

 20代に入ったビアトリクス・ポターは、美しくて形の多様なキノコにひかれキノコの絵を描きはじめました。やがて、菌類の研究に没頭します。

 そんなビアトリクスが師と仰いでいたのが、スコットランドの避暑先でいつも郵便を届けてくれていた郵便配達人のチャールズ・マッキントッシュでした。

 マッキントッシュは1839年にスコットランドのインヴァー生まれ。製材所で働いた後、20歳頃に郵便配達の仕事に就きます。子供の頃から自然科学に興味があったため、配達途中の道々で熱心に植物を観察。特にシダやコケに詳しい、アマチュア植物学者でした。

 菌類の研究をするなかで、パースシャー自然科学学会の創設者で昆虫学者、植物学者のF. B. ホワイト教授と知り合い、誘われて特別准会員となります。誰にでも豊富な知識を分け与えた彼は、数々の著名な権威ある植物学者とも親交を持ちました。また、ビアトリクスの父ルパートは、1887年に高価な菌類の本を贈っています。

 後に「私は1870年7月の彼を思い出せる」と書いているように、小さな頃からマッキントッシュのことを見知っていたビアトリクスですが、1892年の夏、10年ぶりの避暑に訪れたダンケルドで、改まってキノコのことを話そうとした時には、とても勇気が要ったようです。この時、ビアトリクスは26歳になったばかり。マッキントッシュは2年前に郵便配達の仕事から引退していました。二人揃って恥ずかしがりやなため、夏の間ずっと声をかけかねていたのです。ロンドンに帰る日がいよいよ近づき、知人の写真家がアレンジしてくれて、10月29日、ついに対面を果たしたのでした。

 「私の絵を彼に見せずにロンドンへ帰ることほど愚かなことはない」と、その時の思いを日記に書いています。

 当時のビアトリクスはまだ趣味でキノコの絵を描く程度でしたが、マッキントッシュと親しくなったことで、本格的に取り組むことになったようです。

 言葉少ないマッキントッシュでしたが、キノコの話になると能弁で、その内容も、ビアトリクスにさらに尊敬を深めさせるものでした。同じ日の日記には、

 「私の絵に対する彼の植物学的に正確な彼の指摘は、知識がないのに知ったかぶりする批評家たちよりずっと素晴らしい」と書いています。

 それからは、頻繁に手紙のやり取りをして、疑問に答えてもらったり、スコットランドのキノコの標本を送ってもらったりしていました。また、キノコの断面図を描くことをアドバイスされ、ビアトリクスはさらに研究にのめり込んでいきます。

 しかし、1897年、ビアトリクスは自ら描き上げた論文がリンネ研究所に認めてもらえなかったことで、菌類学者となる夢から挫折します。菌類からは完全に離れたいと思ったのか、この年を境に、マッキントッシュと会うことは二度とありませんでした。

バーナムにある「ビアトリクス・ポター・エキシビジョン&ガーデン」では、ビアトリクス・ポターとチャールズ・マッキントッシュの関わりが紹介されている。
バーナムにある「ビアトリクス・ポター・エキシビジョン&ガーデン」では、ビアトリクス・ポターとチャールズ・マッキントッシュの関わりが紹介されている。

伝農浩子
(フリーランス・ライター&エディター。著書:『ピーターラビットと歩くイギリス湖水地方』(JTBパブリッシング)、『ミス・ポターの夢をあきらめない人生』(徳間書店))
現在、nikkei BPnet で『ニッポンを伝える人たち』を連載。


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