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2010.05.06
ビアトリクスを囲む人たち
友人:ジョセフィナ・デ・ヴァスコンチェロス
ビアトリクスの晩年、心を開いて親交のあった友人に、38歳年下の著名な彫刻家ジョセフィナ・デ・ヴァスコンチェロスがいました。お互い、アーティストであるという共通点も二人を結びつけたのでしょう。
1904年に外交官の父の元に生まれたジョセフィナは、王立美術院に奨学金で入るなど、その才能を伸ばしていきます。そして、1930年、画家のデルマー・バナーに強く引かれ結婚。その後、1930年代を通して、美しい湖水地方の風景を描くデルマーに付いて、ジョセフィナもたびたび湖水地方を訪れました.そしてついに、1939年、夫妻は、リトル・ラングデールにある農家に移り住みます。
ジョセフィナがビアトリクスに出会ったのは、まだ、湖水地方に住む前、エスクデールで行なわれていたエクスデール・シープ・ショー(ヒツジの品評会)した。そこに、自らも出品すると共に審査員として参加していたビアトリクスがいたのです。ジョセフィナがビアトリクスのことを良く知っていたように、ビアトリクスもまたジョセフィナのことを良く知っていたようです。そして、農場を営んでいた友人を介して紹介され、その場で「ご主人と一緒にお茶を飲みにいらっしゃい」と誘われたのです。
その後、二人は頻繁に手紙を交換し、夫妻揃ってたびたびヒルトップを訪ねました。ビアトリクスは、ジョセフィナにpicwigとニックネームを付けて呼んでいたのですが、偶然にも、夫のデルマーは、ビアトリクスの作品の中でも自分たち夫婦に似ていると「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」が好きだったそうです。
また、今日、数少ないビアトリクスの肖像画として見られる若い頃と晩年の絵がありますが、その絵を描いたのがデルマーなのです。晩年の絵は初めて知り会ったエクスデール・シープ・ショーのビアトリクスを描いたものだそうです。
1983年、夫のデルマーが亡くなると長年住んだラングデールの家を離れますが、湖水地方には住み続け、創作活動を続けました。
2004年10月に湖水地方を訪れた際、ちょうどジョセフィナの100歳の誕生日が目前で、ワーズワースが若い頃に住んだダヴ・コテージやワーズワース博物館で盛大に祝うんだよだと、博物館のアランさんが教えてくれました。
しかし、その翌年の2005年7月20日、ジョセフィナはブラックプールの療養所で静かに亡くなったそうです。
ジョセフィナの作品は、日本でも見ることができます。それは、広島平和記念公園の広島国際会議場1階ロビーにある「Reconciliation~和解」。オリジナルは第2時世界大戦での実話に心を動かされたジョセフィナが1977年に製作したものです。寄贈したのは、ヴァージン・レコードの創設者であり、現ヴァージン・グループの会長リチャード・ブランソンでした。第2時世界大戦終結50年にあたる1995年に、広島と同じく、戦争で廃墟となったイギリスのコンベントリーに寄贈されたものです。コンベントリーでは大聖堂に置かれています。どちらも機会がありましたら、ぜひ足を運んでみて下さい。

広島国際会議場にある「Reconciliation~和解」
伝農浩子
(フリーランス・ライター&エディター。著書:『ピーターラビットと歩くイギリス湖水地方』(JTBパブリッシング)、『ミス・ポターの夢をあきらめない人生』(徳間書店))
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